ミニマリスト、という言葉がここ数年でよく聞かれるようになりましたね。
ミニマリスト(Wikipediaより)
最低限度のものだけを持って生活するライフスタイル
私はミニマリストを特に意識しているわけではありません。
しかし自宅兼サロンにいらっしゃるほとんどの方が、「すごくスッキリしてますね。」「モノが少ない!」「本当にここで生活しているんですか」と驚くくらいなので、ミニマリストと自分を形容してもいいのかもと感じています。
自分としては、最低限度のものという認識はなくて、必要充分なものをもって生活しているイメージ。
なので必要充分だと思う量が一般的な人に比べて少ないかもしれません。
今回ふと、スッキリ片付いたシンプルな部屋を見渡した時に、ミニマリストへの道はスッキリシンプルな子育てと通じるものがある、と感じました。
部屋もスッキリシンプルにしながら、子育てもスッキリシンプルにするサポートになればという想いを込めて、両者の共通点を「ミニマリストの子育て術」としてお伝えしていきます。
私のミニマリストへの道
私自身はもともとミニマリストだったわけではありません。
ものがあちこちに散乱し、押し入れからものが雪崩れてくるような生活をしていました。
家に何があるか把握していないため、食材を買いすぎて腐らせたり、セール品だからと似たような服ばかり買ってしまったり、やたらとストックがあったり、ものが沢山ある割にはうまく使えていない状況でした。
ごちゃごちゃの部屋にいると、感情的にもなりやすく、夫にイライラして突っかかることも多かったように思います。
それが12年前、『インナーチャイルド』を扱うヒーリングを受けて自分の心の中を整理していった結果、自然に外側である生活環境も整理されていきました。
ちょうど妊娠中~出産後にかけてヒーリングを受けたので、ミニマリストへの道を歩むと同時に子育て期に入ったのはラッキーでした。
ミニマリストの子育て術
ではミニマリストへの道と、スッキリシンプルな子育てとの共通点をお伝えします。
信頼する
あれもこれもと、ものを沢山手元に置いておきたくなるのは、なぜでしょう?
それは、今買わないで、もしくは、今捨ててしまって後で後悔したらどうしよう、という気持ちがあるからではないでしょうか。
また、せっかくもらったのに、買ったのに、高かったのに、捨てるのはもったいない、いつか使うかも、という気持ちもあるでしょう。
全てに共通する想いが、手元にものがないということで失敗するのが嫌、つまり失敗するときに湧き上がるネガティブな気持ちを感じたくない、ということなのです。
子育てにおいても同じで、子どもに口うるさく言ってしまったり、やたらとルールを作って縛ってしまうのも、今子どもにこれをしないでおいて、後で失敗するのが嫌、という想いがあります。
例えば、勉強しなさいと口を酸っぱくして言ってしまうのは、(子どもが勉強しないで落ちこぼれて、ろくな職につけなくて苦労したら・・・それは子育てにおいての失敗だ、失敗した時に出てくるネガティブな気持ちを感じるのは嫌、避けたい)というような想いがベースにあるのではないでしょうか。
自分の必要とするものを見極めて、それ以外のものを手放していくミニマリストへの作業は、自分自身に対する信頼が必要です。
捨ててしまって後で痛い想いをすることもあるかもしれません。
でも痛い想いをしても大丈夫、痛い想いをしてもそこから学んでいくことができる、という信頼です。
子育ても同じこと。
ただ、信頼する対象が自分と子ども、二人になります。
今、子どもが必要とすることを見極めて、それ以上には口うるさく子どもに言わない。
もし自分が言わないことで子どもに何か悪いことが起こり子どもが痛い想いをして、それを見た自分も痛い想いをするかもしれない。
でも、自分も子どもも、痛い想いから学んでいける、と信頼するのです。
信頼すると、ものが必要な分量になってスッキリとシンプルに生活できるように、子育てにおいても、必要なときに必要なことをただ伝えるだけで、子どもと一緒の時間をスッキリシンプルに過ごせるようになります。
普通を疑う
ミニマリストへの道において、普通を疑う、という段階があると思います。
普通を疑う、というのは、これあるの普通だよねというもの、今まであることが当たり前で特に意識していなかったものが、本当に必要かどうか、疑うことです。
例えば、私は今まで手放すことなんて全然考えてなかったベッドを手放しました。
炊飯器も手放し、色々用途別にあった洗剤もナチュラルなもの一種類だけにしました。
最近は冷蔵庫や洗濯機、掃除機も手放すミニマリストの方もいるみたいですが、それらの家電は私たちには必要なので、そこまではしていません。
私にとってテレビは不必要なのですが、夫と子どもが見るときがあるので、テレビは小型のものに変え、普段はしまってます。
テレビはリビングに置きっぱなしにするもの、ではなく、見ないときはしまうという選択肢もあったのです。
同じように、子育てにおいても、普通こうでしょ・当たり前でしょ、ということを疑うことで、スッキリシンプルになっていきます。
宿題するのが普通、普通ゲーム時間は制限するよね、普通お小遣いは〇〇〇円、普通〇〇時までには寝ないとダメでしょ、親の言うことをきくのが当たり前でしょ、三角食べするのが常識でしょ
世間一般的な普通・当たり前もあれば、人それぞれの普通・当たり前があります。
大抵、育っていた環境において普通・当たり前としてきたことを、そのまま受け継いでいくように思います。
一生懸命に子どもを普通・当たり前に合わせようと努力してきたけど、お互い疲弊してうまくいかない、という場合は、普通や当たり前を疑ってみるとスッキリシンプルになるかもしれません。
人それぞれ、個性があるものです。
また子どもは成長するにつれて変化していきます。
本当は、誰にでも当てはまるような、普通・当たり前、というものは存在しないのかもしれません。
ちなみに我が家では、宿題するのは本人任せ、ゲーム時間は特に制限してません。
宿題宿題とうるさく言っていたときよりも、自主的にやっているようで、私は以前よりスッキリとした気分でいられます。
またゲーム時間は特に制限していませんが、ゲーム時の体の姿勢について注意を促すのは今の彼に必要なような気がしているので、時折注意してます。
自分が必要と思うことを言っているだけなので、特にイライラしません。
すぐ対応する
ミニマリストの定義からは少しズレるのかもしれませんが、スッキリシンプルな生活は、出したら出しっぱなしにせずすぐ片付ける、掃除が必要と思ったらその場ですぐちょこちょこと掃除する、というように、すぐ対応することで保たれるように思います。
これは実は私にとっては苦手分野で、ものを出したらすぐ片付けるや、ちょこっと掃除はまだできるようになってきましたが、洗濯物をたたむ、洗い物をためずにやる、はまだ難しいです。
干した洗濯物の山に、また次の洗濯物が積み重なって、どんどん山が大きくなるんですよね。
あとで、と見ないようにしてほったらかしていたものに、どんどん同じように見たくないものが溜まっていくのです。
問題を先送りしていると、問題がさらに大きくなるのと似ているのかもしれません。
すぐ対応する、はスッキリシンプルな子育てにおいても有効に働きます。
子どもの要求に対し、今は時間がないから「あとでねー」を繰り返すと、かんしゃくをおこしたり、すねたり、子どもとの関係がややこしくなっていきやすいです。
子どもの要求を、あとでねー、としないで、その時出来得る範囲ですぐ対応すると、短時間でも子どもは満たされて、過剰な要求はしてこなくなったりします。
まとまった時間を取ろうとするとなかなか腰が重いかもしれませんが、ちょっとした隙間時間でも、きちんと目を向けて、丁寧に扱っていくのを積み重ねる。
お部屋も子育てもスッキリシンプルにしていくためのポイントは同じですね。
まとめ
ミニマリストへの道と、スッキリシンプルな子育ての共通点をお伝えしましたがいかがでしょうか。
それぞれを別々に意識するよりも、つながりを意識した方が、同時に進めやすいかもしれません。
あなたのお部屋も子育ても、スッキリシンプルになっていきますように。
また、以下の記事は、子どもが自然と片付けるようになる親の立ち位置と工夫について書いています。
子どもの片付けで悩まれている方はこちらも参考にしてみてください。
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