「学校、休みたい」
子どもがそう言ってくることはありませんか。
我が家の小学6年生の息子は、そう言って、しょっちゅう学校を休んでいます。
いじめなどが特にあるわけではなさそうで、学校は行ったら行ったで普通に楽しいみたいなんですが。
夜は元気でも朝になると、喉が痛い、だるい、気持ち悪い、と言い出すのです。
喉を見ると少し腫れている感じもあるし、熱はないけど今はコロナ禍でもあるし無理させてもな、と休ませます。
休んだら休んだで、元気そうにずっとゲームをやったり動画を見たりするので、ん?となって、なんだかモヤモヤイライラしていました。
でも友人のある言葉で、学校を休む息子をイライラせずに気楽に見守れるようになりました。
以前の私と同じように学校を休む子どもに対しイライラしている方へ、イライラの原因を探りながら、私が息子を気楽に見守れるようになったある捉え方をお伝えしたいと思います。
この記事の目次
私はなぜ学校を休む子どもにイライラしたのか
私は学校を休む子どもにイライラしていたのでしょうか。
息子は「喉が痛い」「だるい」「気持ち悪い」と言いながらも、休むと元気になってずっと遊んでいましたので、休みたいから嘘をついているのでは疑って不安になりました。
また、休み癖がついてこのまま学校に行かなくなるのではないかという不安や、学校の勉強についていけなくて落ちこぼれてしまうのではないかという不安がありました。
あんまり休むと先生に変な目見られるのではないか、嫌なことから逃げる癖がつくのではないか、などという不安も出てきました。
不安があるとそわそわして落ち着かなくなります。
もっと健康にさせるために何かした方がいいのか、休んでる間も勉強をさせた方がいいのか、親としてやるべきことはないだろうかとぐるぐる考え出します。
また、学校でいじめられたりしてるから、学校に行きたくない思いが肉体的症状になってしまうのではないか、と思い悩んだりもしました。
息子のために、私はどうしたらいいんだろう・・・と深刻に考えている隣で、息子が動画を見ながらガハガハ笑っている。
(はーっ?!こっちはこんなにあなたのためを思って色々考えてるのに、何笑ってんのよ?!)とイライライラ。
不安から自分で自分をすり減らしてイライラへ
要するに、過剰に責任を感じてしまい、ぐるぐると不安に対し対処策をあーでもないこーでもないとこねくり回して消耗しているところに、そんな私の心情も構わずに楽しそうにしている息子に、コンチクショーッ!ってなってたわけです。
『私がこれだけあなたを大切に思って色々やってるのに、あなたは自分のことばかりで全然わたしのことを大切にしてくれないのね』
そんな感じです。
でもこれって親が子どもにイライラするときに、よく起きがちな思考パターンかもしれませんね。
(いや、夫婦関係でも起きてるかも?)
あなたはどうでしょう?
どうして学校を休む子どもにイライラするでしょうか。
そんな時に友人が私に言った言葉
そしてある友人と、私の息子と夫と一緒に食事をしていたときに、学校を休みがちな息子に対し不安とイライラを抱えているんだと友人に漏らしました。
すると友人は息子を見ながら、こう言いました。
「大丈夫、Kくん(息子の名前)はよくわかってる。」
「今は学校の影響を受けない方がいい、と自分で判断したときに、自分で休むことを選択して、自分らしさを守ってるんだよ。」
学校教育の弊害
子どもは自己肯定感高く、自分らしく自由にのびのび育って欲しい、と願う親は多いのではないでしょうか。
しかし、学校教育の場は子ども一人一人の個性を大切にする場ではないように思います。
それよりも、先生に言われたことを言われた通りにする、みんなと同じように行動する、ことに重きを置かれているのではないでしょうか。
また教育も生徒それぞれの発想や考えを豊かにして広げていくことに対し時間を割くよりも、より多くの知識を覚えさせることを優先しがちに感じます。
私は小学校でスクールボランティアをしていた期間があるので、いろんな先生のいろんな授業をリアルタイムで見てきて、(先生、やること多くて大変だな、余裕ないよなー)と思うことが多かったです。
授業や行事をこなしながら、保護者への対応もし、学校全体の仕事もやりつつ、他の先生や管理職の先生との関係性も潤滑にしていかないといけない。
個人の素質にもよると思いますが、ほとんどの先生は目の前のことをこなすだけでキャパオーバーな現状があるように思いますし、実際、キャパオーバーで精神疾患を抱える先生も増えているようです。
もっと一人一人の個性を尊重する先生を!と期待しても、なかなか難しいのかもしれません。
感受性が豊かな子どもや自分らしさを大切にしたい子どもほど、学校にいることが窮屈に感じ疲弊し、距離をとりたがるのは当たり前なように思います。
学校を休むのは、自分を整えるため
個性豊かな子どもを一律の枠に閉じ込めるような学校のエネルギーから一旦距離をおいて、自分らしくリラックスして自由に過ごす時間を担保して自分を整える、そして学校で自分らしさを失わないで過ごせる準備が整ったらまた学校に出かける。
友人の言葉を聞いて、学校を休みがちな息子に対し、そんなイメージが湧いてきました。
学校という枠の中にハマり切ってしまうのはリスクがあります。
与えられた範囲のことしかできなくなってしまうのです。
私もそうでした。
よっぽどの症状がない限り、学校に行くのが当たり前、先生の言うことに素直に従い、出された宿題やテストを完璧にこなすことを目指すのが当たり前。
そうして大人になって急に自己責任で生きる世界に放り込まれる。
うまくいかない現実を前に「誰かうまくいく方法を教えて!」「私に何をしたら良いか教えて」「人生の参考書をください」と他力本願に願うことが当たり前になってしまいました。
いつも第三者から自分がどう見えているのか、自分はちゃんとできているのか、他人の評価を気にして生きていました。
ブラック企業の問題にも関係していると思います。
ブラック企業問題がなくならないのは、どんなにつらくても、言われたことを言われた通りにやるのが当たり前で、休むことはいけないことで怠慢なこと、とある種洗脳のように学生時代に刷り込まれた呪縛にベースがあるのではないでしょうか。
そう考えると、素直に学校を休みたいと正直に言える子どもは頼もしい、とも言えます。
学校を休んで、学校の枠から自由になったら、そりゃ気楽になりますよね。
学校を休んで家にいて元気に楽しそうにしているのは、そのせいかもしれません。
自分の中にある学校教育の弊害に気づこう
それまでもちょこちょこと学校を休んでいましたが、コロナで休校が明けてから、かなりの頻度で学校を休むことになった息子。
そんな息子に対する不安やイライラと向き合っていると、自分自身の中にも学校教育の弊害があることに気づかされました。
まず、先生が怖い。
息子が休んでばっかりいると、「お宅ではどういう育て方をしているんですか?」と先生に責められそう、というイメージが勝手に湧いてくるのです。
息子の担任の先生は、そんなこと言わなそうな人なのに、現実よりもイメージの方が力を持ち、私の心を揺さぶります。
先生の言うことを聞かなければならない、先生に気に入られなければならない、先生の気に触ることをしてはいけない、などという、私が経験してきた学校教育の中でついた心の傷や思い込みが影響しているのだと気づきました。
あとは休んでいると勉強が遅れて落ちこぼれる、という不安もありました。
毎日、コツコツ積み重ねて理解しないと、勉強ができるようにはならないと思い込んでいるのです。
そして一回理解不能になると、やる気をなくしてどんどん落ちこぼれていく。
でも実際は、成長過程でどこかの脳の回路がつながったかのように思える時に、グンとのびたりするんですよね。
やる気をなくしたからって、それで全て終わりなわけじゃない、またやる気になる時だってあるわけです。
少なくとも、「この子は大丈夫」と無条件に信頼されて育った自己肯定感の高い子どもは、そう簡単にはへこたれない。
こうやって自分の中を紐解いていく作業をしていくことでも、学校を休む息子に対する不安やイライラは減っていきました。
まとめ
息子は最近は以前ほどは長くは休みませんが、1日2日とちょこちょことは休んでいます。
私も夫も、イライラや不安が全くなくなった!というわけではないですが、普通にさらりと、休んでOK、としています。
息子はもともと感情の起伏が少なく安定しているマイペースな子どもですが、さらにどっしりと安定してきているように思います。
(クラスで一番背が高いなど体型的に大きくなっているのもありますが 笑)
『この子は何があってもなくても大丈夫』
そう信頼して、これからも息子を見守っていきたいです。
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